ワインのことを深く知り続けることは、とても楽しいことです。 すでにワインの素晴らしさを見抜くことができる皆さんにとっては言うまでもないですが、これはワインラバーの醍醐味とも言えます。 たとえば、
- ワインごとの味わい、香り
- 価格によるクオリティの違い
- ワイナリーごとの方向性
など、さまざまな部分で趣を感じるのは楽しいものです。 しかし、ワインについての理解度が高まってくると、多くの人が当てはまる「ワインあるある」を体験することでしょう。 今回は、舌が冴えている人にだけ起こりうる「ワインあるある」について紹介します。
- あるあるネタで共感する喜びを感じたい
- ワイン通だけのあるあるを知りたい
- なんとなくヒマ
という人は、ぜひお読みください。
その1:時間が経つと美味しく感じる
少し高いワインを買ってきて、さっそくテイスティング。 飲んでみると思ったほど果実味がなく、そして香りもイマイチ...... アタック感も弱く、タンニンの渋みや大人っぽさも感じいられない。
- 「期待していたのに、全然大したことないな」
- 「まあ、二回目はないな」
- 「自分の舌には合わない」
こんな風に思うのは、ワインラバーの日常です。 ここまでは、イヤな意味での「ワインあるある」ですね。 しかし、2,3時間経つと評価は一変。 ほどよい酸味とたしかな甘み、そして完熟感ある香りに、「あれ?やっぱり意外と美味しいじゃん」と思い直したりします。 なぜか時間が経つと、ワインの味に対する評価は大きく変化してしまうのです。 ワインラバーはなんとも天邪鬼な生き物だと言えるでしょう。 あるあるネタはいったん置いておいて、真面目な話をするとスワリングが足りていないのかもしれません。 スワリングすることでワインと酸素が混ざり合い、ワインは酸化します。 いわゆる「ワインが開く」という現象ですね。 つまり最初の段階で開いていなくて、時間経過でようやく開いて、美味しく感じているのかもしれません。
その2:高すぎると評価がクールになる
「高ければ美味しい」わけではないのが、ワインの面白くも憎いところ。 意外と高いワインほど、あっさりと評価してしまったりするものです。 基本的にはワインの値段が上がっていけば行くほど、
- 「美味しい! 美味しすぎる!」
- 「さすが高いワインだ!」
- 「断然、香りが違う!」
と感動させられます。 しかし、それはだいたい3万円代までの話。 4万円以上からは価格が上がってくるにつれて、
- 「5万円だし、美味しいよね」
- 「これが10万円のワインなるほどね(わかってない)」
- 「30万円.......ふーん、いいじゃない」
と、反応がクールになっていきます。 ちなみに世界でもっともレアリティの高いロマネ・コンティも例外ではありません。 ビギナーがロマネ・コンティを飲むと、「あれ?薄い」と思うことがたいがいのパターンです。 ソムリエたちが何を感じて美辞麗句を並べて称賛しているのか、不思議に思ってしまう瞬間でもあるでしょう。 筆者は最近、何やらピンク色のスパークリングワインを渡されたことがあります。 「これはなんですか?」と聞いたら、いわゆるピンドンだったのです。 恐るおそる飲むと、確かにおいしい。 でも、「20万円出してでも飲みたい!」言えるほどおいしいかと言うと...... 結局、「あーなんか全然違いますね!」とコメントするにとどまりました。
その3:結局なんでも飲むところに戻ってくる
二つ目のあるあるは、ワインラバーとしての成長について。 人はいろいろとワインを飲んで、ワインラバーとして成長していきます。 ビギナーのころは、ワインについて何も知らないので、とにかくいろいろと飲んでみるはずです。 そして、あまり高いワインを飲むこともないでしょう。 しかし"中級者"くらいになってくると、
- 「ブルゴーニュしか飲まない!」
- 「安いのはイヤ!」
- 「カヴェルネ・ソーヴィニヨンじゃないと飲めない!」
と、いろいろとこだわりはじめる、というあるあるネタです。 しかし"上級者"ともなってくると、これも変化します。 とにかく、なんでも飲むようになるのです。 「オーストリアのワイン? なかなか面白そうじゃないか、飲んでみよう」といった態度ですね。 これは別に、ビギナー時代へ逆戻りしたわけではありません。 むしろ、ワインそれぞれの美味しさや趣、表情を汲み取れるだけの素養が身に付いたことを表すものでしょう。 ちなみに筆者は最近、ピノ・ノワールしか飲まない時期に突入しました。 早くなんでも飲みたいと思える(ワインごとのキャラクターを受け入れられる)上級者の世界に進みたいものです。
その4:ソムリエのマネをする
ワインソムリエたちは、さまざまな美辞麗句(と、ときに辛辣な表現)によって、ワインへの解釈を述べます。 彼らのマネをしたことがある人は、多いのではないでしょうか? ワイングラスを揺らしながら、 「シャルドネ本来のフレッシュ感を保ちつつも、ずっしりとしたアタック感......たおやかな香りはブラックチェリーを彷彿とさせ、非常にロイヤリティが感じられる印象......」 というように、ワインのソムリエがいかにも言いそうなことを言うのです。 筆者は大学生のころ、ワインを飲む機会があればかならずソムリエのマネて、一笑を買っていました。 今ではソムリエたちの言っていることがどれだけ根拠立っているか程度のことはわかるので、決してマネていません。
その5:開けたら飲まなきゃいけないから、開けられない
自宅でワインを楽しんでいる人に起こる「あるあるネタ」です。 ワインは、一度開けてしまうと少しずつ酸化してしまいます。 つまりワイン本来の味わいを楽しむのであれば、開けた日には飲みきらないといけないわけです。 しかし、ワインを開けたとして、その日のうちに飲みきれないことも決して少なくありません。 だから、
- 今日はあんまり時間がないし、開けないでおこう
- ワイン以外にも飲みたいし、開けたら残しそう
- この人数だと多分余っちゃうなあ......
などと考えていしまい、結局開けられないというあるある。 ワインを開けるには、それなりの覚悟が必要なのです。 特に高いワインなら、この傾向はより強くなります。 開けたはいいものの飲みきれず、再び栓をして戻す人もいるでしょう。 次に飲むときは味わいも変化しているわけですが、「あれ? 酸味があっておいしい」と、ワインあるある①の状態に入るループも...... ちなみに筆者の家にも、ゴールドのアルマンドがありますが、かれこれ1年半は開けられていません。
その6:家にワインが貯まっていく
こだわりが強いワインラバーは、「家にワインが貯まっていく」というあるあるも経験します。 「このワインはとっておきの日に飲むから......」 「このワインは、あの人と飲みたいから今日じゃない」 「うーん、買ったはいいけれど飲む気が起こらないな」 というような理由付けで開栓を見送り続け、気がついたら家には何本ものワインが。 にもかかわらず新しいワインを買い足すので、本数は増えていくというあるあるにもつながっていきます。 重度になってくると、ワインたちが家で5年ほどが経過して、飲み頃をとっくに超えてしまう場合も。
その7:とんでもない開き方をするときがある
ボトルワインを購入し、意気揚々と自宅へ。 さっそくオープナーを突き刺して開封! しかし、コルクが固くてうまく開けられない...... そして最悪のパターンは、下記のような状態に陥ること。
(引用:Twitter)
なんとコルクが沈み込んでしまい、ワインにドブリ。 これでは風味も香りも、何もかも変わってしまいそうです。 そもそもこのコルク、どうやって取ればよいのでしょうか...... できれば本当に一生経験したくないあるあるです。 これがドンペリなら目も当てられません。
ワインあるある⑧:安い! と思ったら.....
ワインを購入するとき、よく遭遇する「あるある」です。 「この銘柄がたったの○○円!?安い!すぐに買おう!」と思ったものの、よくみたらハーフサイズ(375ml)。 そして、「なんだ、ハーフサイズなら相場どおりじゃん」と、クールに戻るまでが一連の流れ。 なかなか相場外れに安いワインは、小売店では見かけられないのです。 しかし、ハーフボトルだと気づいたときの落胆は、決して小さくありません。 できることならボトルサイズが一目見てわかるように陳列してもらいたいものです。
ワインあるある⑨:「アレ」が見当たらない!
これは、初心者に多いワインあるあるではないでしょうか? 珍しく自宅にワインを持って帰り、さっそく飲もうとしたとき、あることに気付きます。 「オープナーがない......」 もし、コンスタントにワインを飲む習慣があるなら、オープナーは定位置に置かれているでしょう。 しかし、ワインを飲む習慣が出来上がっていないと、オープナーが見当たらないこともしばしば。 むしろ、オープナー自体持っていないことも多いでしょう。 家にオープナーがある自信がないなら、ワインと一緒にオープナーも買っておくことが重要です。 ちなみにオープナーがなかった場合、「オープナー以外のもので無理やり開栓しようとする」という、ワイルドなあるあるにもつながっていきます。
まとめ:ワインあるある
ワインを飲んでいると、たくさんの「あるある」ネタへつながっていきます。 いくつか、共感できるものがあったのではないでしょうか? 中には、少し滑稽な「あるある」もあったかもしれません。 しかし、それは決して恥ずかしいことではないのです。 なぜなら、ワインあるあるに遭遇したということは、それだけワインのことを理解していると言えるから。 ワインのことがわかっていないなら、「あるある」とは感じられないはずです。 むしろ「あるある」に共感できたことに、誇りを持ってもらえればと思います。